‹ネゲブの流れ>-759-2023/8/6
「アコルの谷」ヨシュア記7:22~26
「こうして彼らは、アカンの上に、大きな、石くれの山を積み上げた。今日もそのままである。そこで、主は燃える怒りをやめられた。」―ヨシュア記7:26―
最近ワクチン被害に注目するようになり、その問題点を指摘しているウィルス学者の宮沢孝幸氏を知りました。宮沢氏は正義感の強い方ですが、氏の本にこんな言葉がありました。「正義感を振りかざすと、とんでもないことが起きる、…悪を恨む心が、逆に自分に作用するのかもしれない」と。私にも思い当たることがあり、正義感から陥った罪に気づきました。アカンへの容赦ないさばきから、神の怒りと赦しを学びましょう。
➀罪は主の前に。― アカンの告白を受けてヨシュアは使いたちを天幕に遣わしました。アカンの言う通り盗んだものが天幕に隠してありました。使いたちはそれらをヨシュアと全イスラエルのところに持って来て、主の前に置きました。主の前とは、主の箱の前に置いたということでしょう。罪は告白して捨てなければならないと言われます。カトリックの告解の所以ですが、告白は謙遜と罪への嫌悪を心にもたらすからです。
➁罪と罰の恐ろしさ。― アカンが受けた刑罰は恐ろしい極刑です。略奪物と子供、家畜、天幕、所有物とともにアコル(=わざわいをもたらす)の谷に連れて行かれ、ヨシュアに「主は、きょう、あなたにわざわいをもたらす」と言われ、全イスラエルに石でうち殺され、物は火で焼かれ、石くれの山が積まれました。大事な主の戦いにおける不祥事だったからです。罪の恐ろしさ。人間の罪を背負って十字架につけられたキリストを思う時に、神の前に私達人間の罪が非常に重いのだと解ります。
➂収まった神の怒り。― アカンが聖絶のものを取った時、主の怒りが燃え上がりました。その結果小さい町アイに敗北したのです。その主の怒りが、アカンへの徹底した刑罰後やみました。「聖絶のものを除き去るまで、敵の前に立つことができない。」(13節)と言われた通りです。私も正義感から教団の悪との戦いに勝ちたくて自分の考えで無理をしてふさわしくない行動に陥り、主の怒りを買っていたと気づきました。新約の恵みですが、十字架の前に悔い改め主の赦しを頂き再出発したく願っています。その罪=愛なき言動をアコルの谷に石で埋め尽くして!
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