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‹ネゲブの流れ>-804-2024/6/9

「自分で切り開くがよい」ヨシュア記17:14~18


「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。」  ーヨシュア記17:15ー

 

 私の故郷佐渡は、江戸時代天領だったため優秀な人材が沢山出ています。例えば東大医学部の前身が作られた際教師の1/3が佐渡人だったそうです。佐渡人物伝を調べながら、成績優秀だった私の人生が心の弱さ故に不毛だったことに悔しさを感じました。それはヨセフ族がヨシュアにぶつけた不満に似ています。ヨシュアの答えに学びます。

 ➀貪欲と不平不満。―ヨルダン西のヨセフ族(=エフライム族とマナセ半部族)が割り当ての後ヨシュアに不平を言いました。「私は主に祝福されて数の多い民になったのに、なぜただ一つの割り当て地しかないのか。」 彼らは二部族合わせても他の部族と比べてそう多くはなく、その割に相続した地は広大でした。ただ山地が多く、しかも谷間には鉄の戦車を持ったカナン人がいて未占領地が多かったのです。彼らの言葉からは、信仰からは程遠い高慢と貪欲と不平不満の心が伺えます。

 ➁自分で切り開け!(勇気と努力)。― ヨシュアは皮肉混じりに答えます。「数が多いなら力があるはずだから、カナン人の地の森に上って行って自分で切り開くがよい。」 別の相続地を求めるよりも与えられた相続地内で占領地を増やせと言うのです。それに対してヨセフ族は反論します。「カナン人は鉄の戦車を持っている。」 ああ言えばこう言う、です。神は私達に最善なものを与えているのでその中で、困難に対しては勇気を持って、難題に対しては努力を持って、自分で切り開けということでしょうか。私には「心の弱さを克服しろ!」との声が聞こえます。

 ➂困難克服(山地⇒切り開く、強い敵⇒追い払う)。― 今朝のデボーションに「信仰は事情を変える」とありました。信仰の勇者ヨシュアの言葉も同様です。山は避けるべきものではなく切り開くべきもの。鉄の戦車を持った強い敵は避けるべきものではなく戦い追い払うべきもの。それがヨシュアの同族への勧めでした。クリスチャンには世や悪魔に対する圧倒的勝利が約束されています。それは棚ぼたではなく自分で切り開くべき勝利。信仰の前進に神の助けが伴う。そして勝利が続く☺


 

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