‹ネゲブの流れ>-815-2024/8/25
「のがれの町」ヨシュア記20:1~6
「…のがれの町をあなたがたのために定め、あやまって、知らずに人を殺した殺人者が、そこに逃げ込むことのできるようにしなさい。」 ーヨシュア記20:2~3ー
情報社会の弊害で、真偽不明の情報や心無い冷酷な言葉が氾濫しており心痛む日々です。匿名の意見表明が可能なため、人の心の冷たさ、罪深さが可視化されています。「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(Ⅰヨハネ4:8)とあるように、真のクリスチャンは愛の人のはずです。愛は人を生かします。人を生かさず殺してしまった失敗者にものがれの町が用意。神の愛を学び、真に愛の人に。
➀神に造られた命の尊さ。― 8月は敗戦の月でさらに世界では二つの戦争が続いていて、終戦と命の守りを神に祈らざるをえません。ヨシュアによる占領戦争で、神は命を軽視していると勘違いしそうですが、かの戦争はカナン人の罪に対する刑罰でした。相続地割り当て終了後、主が真っ先に命じられたのが、のがれの町の制定でした。過誤による殺人者を守り、血の復讐の連鎖を断つためです。神は命を尊ぶ方です。
➁過誤と無知による罪。― のがれの町に逃げ込めるのはあやまって、知らずに人を殺した殺人者です。故意の殺人者は死刑ですが、過誤と無知による殺人者の場合はのがれの町の門の入り口に立ち長老たちに聞こえるようにわけを述べ、町に住むことができました。血の復讐者が追って来ても渡されることなく、時の大祭司が死んだら自分の町に帰ることができました。私たちにも無知による罪が多く、知らずに人を傷つけ苦しめています。不毛なのは、のがれの町滞在中だからかも?
➂十字架=のがれの町。- のがれの町はキリストの十字架を象徴しています。血の復讐者が町に入れず復讐されないことは赦しを意味しています。しかし即座に今までの生活が許される訳ではなく、時の大祭司の死によってしか元の町での生活に戻ることはできません。大祭司の死はキリストの死を意味し、キリストの死を自分の死として理解できてはじめて、新しく聖められた生き方ができます(ガラ2:20)。愛(=寛容、親切、ねたまない、…怒らず、人のした悪を思わず…)は自分に死ぬ以外、心に宿りません。のがれの町に逃げ込み真に愛の人と‼
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