

<ネゲブの流れ>-885-2025/12/28
「パウロの祈り」コロサイ1:9~12 「こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。」 ーコロサイ1:9ー 2025年最後の主日です。私はまだ66歳ですが、父母を送って以来残り時間を意識し始めました。無駄や失敗は避け一日一日を有効に過ごしたいと。そういう意味でも一年を振り返り新しい年を迎えることは意味があると思います。私の最近の目標は内的成長ですが、パウロがコロサイの信徒のために祈っていた祈りはまさに適格です。学びましょう。 ➀真の知識の満たし。-パウロはコロサイ教会の信仰について聞いた日からその信仰の祝福のために祈って来ました。祝福の一つ目は神や神のみこころに関する真の知識に満たされることです。キリスト教信仰は聖書を土台とした知的信仰で、神学的学びが必要です。さらにこの信仰は霊的であるので、霊的な知恵と理解力が必要です。また神のみこころは個々人や時代で違いがあり要注意です。例えば今の日本の教会では“伝道


<ネゲブの流れ>-884-2025/12/21
「信仰の土台」コロサイ1:3~8 「それは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛のことを聞いたからです。」 ーコロサイ1:4ー 救い主の降誕に感謝します。本日日本中の教会に聖霊が注がれますように。折しも本日東京に、私が信仰的に非常に感銘を受けた韓国のソン牧師御夫妻が来られています。降誕の恵みは過誤や迫害の危険と戦いながら年々大きく深くなります。パウロはコロサイ教会の過誤を指摘する前に現在の信仰とその土台を確認しています。学びましょう。 ➀今持っている信仰、愛、望み。-挨拶の後パウロはコロサイ教会のために祈っていることと神に感謝していることを伝えます。それは彼らのキリスト信仰、聖徒への愛、天の望みを聞いたからです。過誤の指摘どころか彼らの信仰を評価しています。私たちの今の信仰は不完全なもので、不信仰や愛の無さを示されて軌道修正するのが日常です。しかしパウロはまず私たちの今達している信仰を認めて下さるのです。 ➁世界中で実を結び広がり続ける福音。-コロサイ教会の信仰を認めた上


<ネゲブの流れ>-883-2025/12/14
「コロサイの兄弟たちへ」コロサイ1:1~2 「神のみこころによる、キリスト・イエスの使徒パウロ、および兄弟 テモテから、コロサイにいる聖徒たちで、キリストにある忠実な兄弟たちへ。」 ーコロサイ1:1~2aー 12月はクリスマスと歳末を迎える月で、何かと人とのやり取りがあります。デジタル化で手紙や電話よりもメールやラインが使われますが、意思伝達である以上相手への配慮や思いやりが大事です。パウロは自分が開拓した教会ではないコロサイ教会に誤りを指摘する手紙を書きましたが、かなりの愛の配慮をしています。さすがです。学びましょう。 ➀差出人。-コロサイ教会はパウロの第3次伝道旅行のエペソ伝道中に救われたエパフラスによって始められました。彼はコロサイ出身者でパウロの指導下で故郷伝道をしたのです。パウロはこの教会を訪れていませんが、後にローマ獄中で教会の誤りを聞き手紙を書いたのです。誤りの指摘には権威が必要で、冒頭から使徒職がキリスト・イエスからのものだと強調しています。しかし権威だけでは聞き手が引いてしまうので、パウロを手


<ネゲブの流れ>-882-2025/12/7
「主イエス・キリストの恵み」ピリピ4:21~23 「どうか、主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。」 ーピリピ4:23ー 私は48年前の12月4日(日)、悩みを抱え助けを求めて初めてキリスト教会に行きました。礼拝後私の悩みを聞いてくれた牧師の言葉=「教会に来れば必ず助けがある」を信じ教会に通い続けました。あれから神様を信じ多くの助けと 恵み を頂き過ごして来れました。パウロのピリピ人への手紙の結びは慣用句ですが、 恵み が一杯。学びましょう。 ➀教会のひとりひとりに挨拶を送るパウロの愛。-パウロはローマ人への手紙16章で「〇〇によろしく」と多くの信徒の名前を挙げて挨拶していますが、この手紙ではすべての信徒を念頭に「キリスト・イエスにある聖徒のひとりひとりに、よろしく伝えてください。」と記しています。ピリピ教会が良い教会だからとも言えますが、弱い信徒も含めすべての信徒に平等に「よろしく伝えてください。」と言える彼の愛の心の広さです。つい「あの人に挨拶なんて


<ネゲブの流れ>-881-2025/11/30
「満ちあふれる恵み」ピリピ4:14~20 「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」 ーピリピ4:19ー アドベント(待降節)に入りました。2025年もあと一ヶ月。今年も私達は様々な経験をし様々な恵みを頂きました。確かに一年祈り続けても動かなかったこともあります。しかし振り返って恵みを数え、さらに新しい恵みを待ち望むことは有益です。ピリピ人への手紙を結ぶにあたってパウロが発した神賛美は私達への祝福の約束です。学びましょう。 ➀困難も乏しさもあった。-パウロは手紙の結びでピリピ教会との関係を思い巡らしました。それは彼らの愛の贈り物のことですが、同時に伝道者パウロの困難と乏しさの体験でした。激しい迫害の中で命がけで伝道して来たパウロの困難と乏しさは尋常のものではありません。キリストが一人十字架に死んだように、困難や乏しさに孤立が加わることさえあったでしょう。今年、私もそのような痛い出来事に遭遇しました。 ➁支援者がいた。-パウロが厳しい困難と


<ネゲブの流れ>-880-2025/11/23
「あらゆる境遇に対処」ピリピ4:10~13 「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」 ーピリピ4:12ー 人が同一でないように境遇も同一でなく、多様な境遇があります。辛い境遇を乗り越えようと似た境遇者の体験談を読む人も多いです。しかし最も有効な境遇対処の秘訣は神に頼ることです。神は人の内外の事象の支配者だからです。偉大な信仰者パウロが「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」と言った所以です。パウロに学びましょう。 ➀捧げ物の恵み。-ピリピ教会は良い教会でパウロの働きのために二度も捧げ物を送りました。パウロはその捧げ物とピリピ教会の人々の心を非常に喜びました。与える心は霊的祝福の印だからです。彼は乏しい時には自ら働き、誰からもむさぼることはありませんでした。献金の多寡で信徒を評価する牧師とは違います。彼自身が物質的生活でも神に信頼して不満から解放されていたからで


<ネゲブの流れ>-879-2025/11/16
「一般的な善の追求」ピリピ4:8~9 「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」 ーピリピ4:8ー 高市氏は相当の虚言癖らしいです。就任一ヶ月でもう日中関係の悪化をもたらし、氏を支持する善悪に疎いネトウヨ達は中国との衝突すら求める始末です。高市内閣は長くないと言う人もいますが、日本の現状は憂うべき状況です。今こそクリスチャンの言動を通しての証が大切です。パウロも一般社会での生活の証しを勧めています。学びましょう。 ➀真実なこと~称賛に値することを心に留める。-パウロは手紙の終わりに近づき「最後に」と言って勧めます。心に留めるべきこととして善きことの列挙です。真実なこと、誉れあること、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、評判の良いこと、徳と言われること、称賛に値すること、と。高市首相誕生以来これらと反対の報道や発言を耳にすることが多くうんざりでした。


<ネゲブの流れ>-878-2025/11/9
「何も思い煩わないで」ピリピ4:1~7 「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」 ーピリピ4:6ー 時代を見分けるために政治を追っていますが、最近は斎藤知事と高市首相を見ると憂鬱になり困っていました。そこで「さばきの主よ。来て下さい。」と強く祈るよう心がけました。先週の予算委員会で高市氏は過去の極端な発言をいくつも変更し「芯のなさ」を露呈し、祈りが聞かれていることを実感。パウロから幸いな信仰生活について学びましょう。 ➀いつも主にあって喜ぶ。-私達は悪魔の支配しているこの世に生きており、とても喜べない事件や境遇に遭遇します。その中でも喜ぶには「主にある」ことが大事です。前の3章で学んだようにこの世を超越したキリストと天の栄光のすばらしさを思ってしっかり立つ、あるいは世から離れてクリスチャン同士の主にある愛の一致を楽しむ。私達には主からの恵みが溢れるばかり与えられており喜べることはいっぱいです。 ➁思い煩わずに祈る。-主の恵みを覚


<ネゲブの流れ>-877-2025/11/2
「私達の国籍は天に」ピリピ3:17~21 「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キ リストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」 ーピリピ3:20ー 先週日米首脳会談が行われ、高市氏のはしゃぎに隠れて日本に不利な交渉が進みました。敗戦以来、日本の食欲のために米国に魂を売る対米従属の状況が継続中。高市氏に首相としての威厳は皆無でした。地上の欲望と魂の高尚さの問題は人間存在につきもので、クリスチャンでも同様です。パウロの「私を見ならう者に」との勧めに学びましょう。 ➀十字架の敵として歩む恐ろしさ。-キリスト第一に生きたパウロは、霊的祝福のすばらしさを満喫していました。それでピリピの兄弟たちに「私に見ならう者となってください。」と勧め、同時に涙をもって反している人々(信者)のことを記します。彼らはパウロに見ならわないどころか十字架の敵として歩んでいる。神よりも自分の欲望充足が大事。関心事は生活の豊かさや世的成功という地上のことだけ。パウロは警告します。彼らの栄光は彼ら自身の恥、最後は滅びだ、と。自


<ネゲブの流れ>-876-2025/10/26
「クリスチャン生涯とは?」ピリピ3:10~16 「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。」 ーピリピ3:10~11ー 先週最も首相にしてはいけない首相が誕生し大変ショックでした。そこに様々な問題が重なって精神的に疲れ果てました。元気を取り戻すために色々試みましたが、結局は祈りと御言葉による霊的命の回復でした。その時改めて感じたのはクリスチャンは世の人とは違うということ。世をちりあくたとしたパウロからクリスチャン生涯について学びましょう。 ➀キリストの死と復活を知る生涯。-信仰による義のゆえに他のものをちりあくたとしたパウロにとって、最大関心事はキリストとその復活の力を知ることでした。キリストのように命がけで義のために苦しみ、その上でキリストのように悪と死に勝利して復活の力を経験する。彼は度重なる迫害と死の危険を奇跡的に抜け続けてその幾分かを経験し、殉教後その願いは完全に実現しました。今の私達の苦しみが義のためなら私






















