top of page

<ネゲブの流れ>-837-2025/1/19

「神に近い者と」エペソ2:11~13


「しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。」               ーエペソ2:13ー


 8年前、毎週CSに来て暗証聖句を熱心に覚え洗礼を受けたいと言った子がいました。親の反対で無理でしたが、高3になったその子が突然来て数日泊まって行きました。帰り際に聖書をあげ、再び神に近づけたらと祈っている所です。異教国日本に生れその闇に苦しめられた私には、神に近い者とされたことは幸いでした。その恵みを学びましょう。

 ➀私たちは神から遠い異邦人だった。ー 日本へのキリスト教伝来はカトリックが1549年、プロテスタントが1859年で、日本は聖書の神から遠い国でした。しかもキリシタン迫害は激しく、開国後のプロテスタントに対しても外国の宗教という目で見られました。私の故郷佐渡にしても宗教は神社と寺が中心で、大正から昭和にかけて15年間私の通学路に建っていた畑野教会の噂すら皆無だったほどです。誰もキリスト教を相手にしていなかった。それは神から遠い異邦人だったからです。

 ➁神もなく望みもない異邦人だった。― 第二次世界大戦後マッカーサー元帥がキリスト教化を図り日本も変わりましたが、異教国日本の結末があの悲惨な戦争でした。全国民が家父長的天皇制下で臣民として自由も命も奪われました。戦後も残った神仏結合型家父長制家庭では重い支配と搾取が常態化。偶像の神仏は支配、搾取、腐敗を内包し、それらに負けない強者だけしか望みを持てない。弱かった私には生きる望みすら持てないほど重い支配でした。異邦人の闇=精神病の多さ。

 ➂神に近い者とされた恵み。― 私の悩みは神仏に合掌しても解決しないと思いました。しかし訪ねた教会の牧師は私と同じ悩みが解決したと体験談を語ってくれました。教会の人達は暖かく、これが本物の宗教だと感じました。聖書を読むことと祈ることを教えてもらい、それによって様々なことが解決して神を近く感じ、入信しました。神に近いとは助け手、導き手なる神が側にいるということです。十字架の犠牲の血は愛の血です。時代も海も越えて悩める私の所に流れて来ました。神はずっと私を助けてくれました。前述の子にもそう言って聖書をあげました。


 


 

Comments


最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page