<ネゲブの流れ>-908-2026/6/7
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「苦闘の中の福音」Ⅰテサロニケ2:1~3
「ご承知のように、私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたのですが、私たちの神によって、激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。」 ーⅠテサロニケ2:2ー
先日高齢の姉妹から幸いな証を聞きました。若い時から難病を抱え、これまで生きて来れたのは神様のおかげだと言うのです。料理が得意で痛みの中でもご家族のため励んでいました。苦しみ、はずかしめ、激しい苦闘の中でパウロはテサロニケ人に福音を語りました。苦闘の中でこそ生きる福音。私たちは苦しいと負けやすいですが、学びましょう。
➀むだでない宣教。-パウロのテサロニケ宣教はわずか3週間でした。ピりピの迫害から解放されて行ったテサロニケでもすぐにユダヤ人による迫害が起こり移動しなければならなかったのです。短い滞在で説教の回数も限られました。しかし幾人かのユダヤ人と神を敬う大ぜいのギリシャ人と貴婦人たちが信じました。宣教にむだはなさそうです。前述の姉妹とは訪問時祈って頂いて問題が即解決した奇跡の経験があり、姉妹の励みになっているようです。私の訪問もむだではなかった。
➁激しい苦闘の中で福音を語る。-パウロはピりピでの迫害を「苦しみに会い、はずかしめを受けた」と表現しています。占いの霊につかれた若い女奴隷から霊を追い出したことで迫害が起き、ローマ市民であるパウロが取り調べもなくむち打たれ投獄されました。獄で祈り賛美していたら地震が起きて釈放されることになりました。激しい苦闘の中でも大胆に神の福音を語るというのは、困難を突き抜ける程の強い確信がないとできません。軟弱でなまぬるい、私の信仰を恥じるばかりです。
➂迷い、不純な心、だましごとのない勧め。-パウロは宣教の動機と勧めの真実性を断言します。動機は迷いや不純な心からではないと。自己実現的な動機は不純と言えるかもしれません。迷いも不純な心もないとは、やはり神からの確信でしょう。そして勧めはだましごとではないと。これも真理への確信です。宣教→迫害→救出のサイクルという苦闘の中で強められたパウロの確信。今目の前にある苦しみ、周囲を覆っている暗やみ、それらを突き抜ける覚悟で苦闘し続けたい。残る人生、私を生かし、癒し、私によくして下さった神をもっともっと証したい!
























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