<ネゲブの流れ>-838-2025/1/26
「キリスト教=平和」エペソ2:14~18
「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」
ーエペソ2:14~15aー
トランプ大統領は戦争を終わらせると言われていましたが、就任後その動きがあり喜ばしいことです。なぜキリスト教国が戦争をするのかという疑問がキリスト教批判として提起されますが、もっともなことです。神に近い者、神の家族という概念を述べるパウロはユダヤ人と異邦人間の平和を語ります。キリストは平和の実現者なのです。学びましょう。
➀争いか平和か。ー 私は喧嘩の絶えない家で育ち人のいがみ合いは周りを不幸にすると感じて来ました。人が仲良く和気あいあいとしている姿は嬉しいものです。十代から関わっているキリスト教会にも生家よりはましながらも争いが存在し、結婚して築いた家庭でも元夫との考え方の違いから争いが多かったです。真の平和は、積年の願いです。
➁隔ての壁と敵意による争い。― 争いの原因の一つは「隔て=違い」です。一方だけが得し他方が損をする利益相反は争いを産みます。雇用主と労働者、宗主国と植民国などは立場の違いです。また考え方の違いも争いとなります。宗教戦争しかり。「隔て=違い」は敵意を産み、やがて争いや戦争に至るのです。初代教会時代のユダヤ人と異邦人の間の「隔て」も熾烈なものでした。敵意や殺し合いも存在しました。平和を作るにはこの隔ての壁を打ちこわし敵意を処理廃棄しなければなりません。困難な和解の作業で、謝罪、補償、赦しが必要になります。
➂平和の実現。― パウロはユダヤ人と異邦人を和解させる異邦人伝道の使徒でした。キリストを十字架につけたのはユダヤ人と異邦人。神の前には全ての人は同じ罪人、救われて神の民となっても同じ神の民。キリストの犠牲だけが人間の間に平和をもたらすのです。こんな経験があります。前任地磐田で会堂建築を巡って教会が二分し、牧師追い出しが起きました。それを治めたのは牧師夫人だった私の真摯な謝罪でした。牧会能力の不足を心から謝罪しそれが反対信者の心を動かし和解できました。十字架は私達をへりくだらせます。もう一度十字架を仰ぎ、「隔て」をもたらしている心を除きたい。平和っていいですね😊

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