top of page

<ネゲブの流れ>-839-2025/2/2

「神の御住まい」エペソ2:19~22


「このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」

                  ーエペソ2:22ー


 先月兵庫県議の竹内氏が自死されました。知識と正義感と人望を兼ね備えた議員でした。問題の斎藤知事は良心欠損のモラハラ体質者。正義が悪に負けたように思え非常にショックでした。実は斎藤知事のような人物は牧師に多く、昨今のキリスト教界の闇と重なります。教会は「神の家=神の御住まい」のはずです。教会をチェックしてみましょう。

 ➀神の国の国民か?ー パウロが「あなたがた」と呼ぶのはエペソ地方の教会員です。彼らは神の国において他国人や寄留者ではなく、聖徒たちと同じ「神の国の国民=神の家族」だと言われています。外国人には国民と同当の権利はなく不便です。つまり神の国の他国人や寄留者には神の国の国民の持っている特権がない。神の愛の実体験、良心のきよめ、祈りが届く体験などがないとしたら国民ではないかもしれません。殉教した聖徒たちと同じ国民と言われるのに、残念なことです。

 ➁土台は?―神の国の国民の特権がわからないのは、信仰の土台が違うためです。真の神の国の信仰は礎石がキリストでさらに使徒と預言者を土台として建てられます。キリストが礎石なので、信仰の中心は十字架の前の悔い改めと赦しの信仰となります。そこに初代教会時代の使徒、旧約時代の預言者に学ぶ生きた信仰を付加します。キリストも使徒も預言者も、きよい良心のゆえに迫害されました。良心が欠損した教会は会員数が多くても土台がサタンに浸食されていると言えます。

 ➂御霊が臨在する聖なる宮か?― キリストと殉教者たちを土台として建てられた建物は聖なる宮と呼ばれるのにふさわしいでしょう。義のために生きる人々の集まりこそ「聖」です。正しい人の言動には心洗われる喜びを感じますが、斎藤知事のようなずるい言動には吐き気を感じます。そのようなずるさや嘘を伴った教会組織に御霊が臨在するとも、神が住むとも思えません。信仰の土台が十字架か?神の民の特権を日々味わっているか?御霊に嫌われていないか? 「神の御住まい」として召された召しを無駄にしない歩みをしたいもの。良心を磨きつつ🤍

 

 

Commentaires


最新記事
アーカイブ
タグから検索
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page