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<ネゲブの流れ>-914-2026/7/19

  • 7月18日
  • 読了時間: 2分

「パウロの誉れ、喜び」Ⅰテサロニケ2:17~20


「あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。」ーⅠテサロニケ2:20ー


 先々週末娘の通う教会で牧師先生御家族と姉妹方と私達親子で本当に楽しい交わりの時を頂きました。信仰生活は孤独に耐える試練の時と兄姉と喜び交われる幸いな時の繰り返しかもしれません。克己の信仰者パウロは実は愛情深い人情家でした。キリストのため全誉れを捨てたパウロがテサロニケ教会を誉れと言ったその愛に学びましょう。

 ➀顔を見たいと切に願う。-私達は様々な人に出会いますが再会して顔を見たいと思える人は多くありません。もう顔も見たくないと思える人さえあります。パウロは率直に「しばらくの間…引き離されたので、…なおさらのこと、あなたがたの顔を見たいと切に願っていました。」と言います。パウロがテサロニケ教会を思う愛の思いそしてそれに答える教会側の姿勢。両者が主に対する信仰において意気投合していることが伺えます。信仰と愛の一致。そのような信仰の群れが欲しいですね。

 ➁サタンの妨げ。-それでパウロはテサロニケに行こうと二度も心を決めたのですが、サタンが妨げたようです。この妨げとはパウロの病気や外的迫害が想像されていますが、結果的にパウロはテモテを送りました。サタンも主の手の中で用いられると言われるように、パウロとテサロニケ教会の間に距離があることがかえって信仰の成長と祝福をもたらしたようです。心通う兄姉の間の距離は、さらなる祝福をもたらすということ。顔を見たいというような愛の関係を多く築きたいものです。

 ➂望み、喜び、誇り、誉れ。-ピりピで迫害された後のテサロニケ伝道はそこでもすぐに迫害が起こり苦闘の中での伝道でした。それでも入信者が出て教会ができたのです。パウロは彼らの信仰を誉め喜んでいました。その思いから「主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは…あなたがた」と言っています。パウロはイエス以外に誇りはないと言いますが、イエスにあって生まれたテサロニケ教会がパウロの望み、喜び、誇り、誉れとなりました。私にとっても信仰継承できた子供達は誉れです。さらに愛に生きて実を結びたい。


 
 
 

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