<ネゲブの流れ>-909-2026/6/14
「福音をゆだねられた者」Ⅰテサロニケ2:4~6
「私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。」 ーⅠテサロニケ2:4ー
連日高市氏と斎藤氏の問題言動が話題となっています。ともに謝ると死ぬ病の自己愛性人格障害者で、悪魔の手口で権力奪取と維持を図っています。彼らを支持する国民が多いという不義の時代に、語るべき福音は何でしょうか。クリスチャンには時代の福音がゆだねられています。初代教会で世界宣教の大役を果たしたパウロに学びましょう。
➀福音をゆだねられた。-救い主キリストの十字架と復活は大きな神の愛の現われでした。その意味をできるだけ早く、できるだけ広く伝えるためにパウロが召されました。彼はまさに「神に認められて福音をゆだねられた者」でした。宣教が急務な時代は信徒皆伝道者との意識がすり込まれましたが、これは間違ってないでしょう。パウロには及ばずとも、クリスチャンが福音に頼って生かされるだけで福音の証人なのです。
➁人からの栄誉は受けない。-斎藤氏と戦っているジャーナリストが「悪と戦う先駆者は共感を期待できない」と言っていました。パウロ然り、真理を悟った者は初めは孤独でも真理を伝え続け信奉者を増やして行くのです。パウロも「人を喜ばせようとしてではなく」「へつらいのことばを用いたり、むさぼりの口実を設けたりしない」「人からの名誉を受けようとはしない」と言っています。豊かでも不義がはびこり嘘が平気な今の日本人に、神の審判がある事を伝えなければなりません。今語るべき福音のことばは「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」です。
➂神を喜ばせる。-パウロの働きの土台は「心を調べる神を喜ばせること」でした。福音は人を幸せにしますが、その幸せは表層的ではありません。上っ面で人を喜ばせたいなら「へつらいのことば」を使えばいいでしょう。しかし「へつらい」は福音と相容れません。また自分を喜ばせたいなら、高市氏のように気を引く演技をし「むさぼりの口実を設け」たらいいでしょう。これも福音の逆です。神を喜ばせようとして語るとは、聖書の原則(=神、罪、救い)を語ることです。罪を悔いつつ福音の恵みに生かされて、日常会話の一言からも、福音が証されますように!
























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