<ネゲブの流れ>-910-2026/6/21
- 6 日前
- 読了時間: 2分
「パウロの優しい愛」Ⅰテサロニケ2:7~8
「このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。」
ーⅠテサロニケ2:8ー
今日は父の日でエビフライの日だそうです。母が亡くなり出稼ぎに出ている父が土産にエビフライを買ってくるという小説「盆土産」を読み、昭和の家族愛を感じました。人の愛がますます冷えている今の時代。パウロはテサロニケ教会に対して、母のように父のように愛したと言っています。パウロの愛を学び、愛の自己点検をしましょう。まず母の愛。
➀母のように優しくふるまった。― 親は子供の養育において衣食住のサポートと人格形成のためのしつけをしなければなりません。それを父母で分担しますが、一般的には勧めや命令(12節)は父で愛情を込めた家事は母となります。パウロは男性ですが、伝道者としてテサロニケ教会に対して「母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまった」のです。病人や罪人のために涙を流されたキリストにも通じます。
➁福音だけでなく「いのち」までも喜んで与えたい。― 人間の愛の中で母の愛が最も神の愛に近いと言われますが、パウロの愛はまさにそうでした。彼は「ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。」と言っています。キリストも「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハネ15:13)と言いました。私は「いのちを喜んで与えたい」という意識を失っている自分に気づきました。挫折して使命や愛の対象を失ったのでしょうか。信仰の意識転換が必要です。
➂あなたがたは「私たちの愛する者」となった。― パウロがテサロニケ教会を命懸けで愛したのは、彼らがパウロにとって「愛する者」となったからでした。昔よく言われました。「隣人愛」の隣人とは誰かと問うよりも自分が誰かの隣人になることだ、と。子供や知人その他接する人を隣人として愛することを心がけます。愛されることを優先していました。安重根研究続行中ですが、彼は東洋平和のために喜んで命を捨てました。暗殺者ながら人柄は高潔な愛の人で、仲間の名を伏せて一人死刑となりました。私も残る時といのちを献げて真の愛に生き続けたい!
























コメント