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‹ネゲブの流れ›-607-2020/6/7

2020年6月6日
読了時間: 2分

「パウロの本物の愛」Ⅱコリント11:5~15

『それとも、あなたがたを高めるために、自分を低くして報酬を受けずに神の福音をあなたがたに宣べ伝えたことが、私の罪だったのでしょうか。』  ―Ⅱコリント11:7―

 神はコロナという世界的困難を用いて全ての人を試しています。世界観、他者へ思い、仕事への信念などが問われ、本物か偽物かが露わにされています。パウロはにせ使徒に惑わされているコリントの教会に対して、自らの使徒としての真実の愛を訴えています。もちろんパウロは本物の使徒でした。彼の言葉から本物の愛について考えましょう。

 ➀本物の愛は利他的である。― パウロの話は巧みでなくても、確かな知識に裏打ちされた内容あるものでした。それは聞く者に神からの実質的恩恵を与えるためでした。またコリントの教会に対しては無報酬で福音を伝え、生活費は天幕作りとマケドニヤからの献金で賄いました。貧乏をした時にも(口語訳)だれにも負担をかけなかったと言います。これは中々困難なことで、愛と信仰がなくてはできないことです。

 ➁本物の愛は謙遜である。― パウロはコリントでの宣教姿勢を「あなたがたを高めるために、自分を低くして」と表現しています。上から恵むというものではありません。イエス様が「仕えられるためではなく、仕えるために」来たと言われたのと同じです。イエス様は人間を愛する余り人となって下さり、しかも最も卑しめられた生涯を送って下さいました。パウロとイエス様に倣い、身を低くして他者を高く。それが愛です。

 ➂本物の愛は偽物との戦いを強いられる。― 利他的で謙遜であることに加え、本物の愛を実らせるには邪魔する敵=偽物との戦いが必須です。にせ使徒の正体を暴露させ惑わしを断ち切るために、パウロは無報酬を貫きました。多くの報酬を手にしたにせ使徒は「内容がないから無報酬か?」と、またしばらく無報酬を真似たにせ使徒は「無報酬はたやすいことだ!」と侮蔑したことでしょう。本物の愛の貫徹は難しいです。しかし偽物にはふさわしい最後が来ます。忍耐して、愛、貫徹!

 
 
 

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