

<ネゲブの流れ>-923-2026/9/27
「救い、臨在、向上」Ⅰテサロニケ5:9~11 「神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。」 ーⅠテサロニケ5:9ー 先週は日米及び米中首脳会談があり日本の将来を憂いて落ち込みました。無能で色目使いしかできない日本国首相とそれを支持する無知な国民。間違ったことは嫌いなのに、この嘆かわしい状況の打破のために何もできていない私。今日の箇所は、再臨を待望する者として向上して行くようにと求められています。パウロのことばに学びましょう。 ➀御怒りから救われる者。― 再臨のキリストは審判者です。口からは鋭い剣が出ており手には鉄の杖を持っておられます(黙19:15)。確かに義なる神は畏れるべき方ですが、十字架の贖いは完全で信じる者は神の御怒りから救われます。神を畏れず悪行をなしている者だけが御怒りを受けるのです。私は内心、自分の無力さ弱さのために神の御怒りに会うのではと思っていたので、この御言葉にはホッとしました。 ➁主とともに生きている私たち。―...


<ネゲブの流れ>-922-2026/9/20
「慎み深くしていましょう。」Ⅰテサロニケ5:5~8 「しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。」 ーⅠテサロニケ5:8ー 先月の韓国行きからは今でも感動的恵みを頂いています。安重根義士記念館でテレビにも出ている記念館学芸部長さんと話すことができました。先週部長さんの動画を見たら、「安重根は幾多の挫折を経て一気に賜物を開花させた。それは挫折の中にいる者の希望だ。」と話されており嬉しくなりました。安重根の五ヶ月間の獄中生活は落ち着いたもので再臨を待つ姿勢と重なるものでした。パウロの勧めに学びましょう。 ➀夜や暗やみの者ではなく光(昼)の子どもである。― 前回学んだように暗やみにいないクリスチャンにとって、再臨は盗人のようではなく救い完成の希望の時です。私達も以前は罪の中にあり罪を隠すために夜や暗やみを好んでいたことでしょう。高市氏のように嘘や罪がある人は追及の場を避けます。私達はやみの業である罪を認め告白し赦されました。堂々と光の中に出られます。光の子ども=昼


<ネゲブの流れ>-921-2026/9/13
「主の日を前に」Ⅰテサロニケ5:1~4 「しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。」 ーⅠテサロニケ5:4ー 先週は家の基礎の修理工事があり天気に悩まされました。予報が外れて雨になり心配する場面も。この世は予測不能、対処不能なことが多く考えると不安になります。キリストの再臨についても時や詳細は予測不能です。その日は悪人には盗人のように突然来ますが、クリスチャンにとってはそうではないようです。パウロのことばに学びましょう。 ➀主の日がいつかは解らない。― 4章でパウロは眠った人々とキリストの再臨について説明しました。さてその再臨の日=主の日はいつなのでしょうか。「ただ父だけが知っておられます。」(マタイ24:36)とあって天の御使いもキリストも知らない、まして人には全く解かりません。そのことはテサロニケ教会の信徒たちも教えられて知っており、パウロに書いてもらう必要はありませんでした。ただ覚悟や備えが必要でした。 ➁暗やみの中にいる人には盗人のように突然。


<ネゲブの流れ>-920-2026/9/6
「眠った人々のこと」Ⅰテサロニケ4:13~18 「私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。」 ーⅠテサロニケ4:14ー 死は万人共通ですが、早世は悲しいです。31歳で処刑された安重根は神が共にいた好人物で、私は学びながら神が彼を助けなかったことに疑問を感じ始めました。ちょうどこの箇所の「眠った人々のことについて…悲しみに沈む」という現象です。切実に再臨を待望していた初代教会時代。テサロニケ教会では先に眠った(亡くなった)人々について不運だと悲しんでいました。しかしそれは知識不足ゆえ。学びましょう。 ➀先に眠った人々。― キリスト昇天後二千年も再臨がない時代に生きる私たちと初代教会のクリスチャンでは再臨や天国についての意識が全く違います。当時はまもなく来る再臨の日まで信仰の戦いを続けて生き延びることが目下の目標でした。それがかなわず病死や殉教となったらそれは悲しいことだったのです






















