

<ネゲブの流れ>-919-2026/8/30
「立派なふるまい」Ⅰテサロニケ4:9~12 「また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、 自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。」 ーⅠテサロニケ4:11ー かつて牧師達から私の信仰が試された折、相談した恩師から「立派であれ!」と言われました。当時の私は立派であれなかったと思いますが、今後は召される日まで立派であれたらと思います。「立派」と言えば、やはり安重根の5ヶ月間の獄中生活です。彼はこの箇所のパウロの勧めに通ずる信仰生活の基本を実行していました。学びましょう。 ➀兄弟愛。― 再臨時責められない者であるためには前回の聖さとともに立派な生き方が必要です。まずは神と人を愛するという基本の横棒である隣人愛、兄弟愛です。初代教会時代は宣教拡大とともに迫害も激しく隣人愛は信者間の兄弟愛に求められていました。テサロニケ教会はこの兄弟愛を教会の枠を超えてマケドニア全土の兄弟たちにも実行しており、褒められて、ますますそうあるようにと勧められています。 ➁落ち着いた生活。― 兄弟愛は対人的で外向きな行動ですが、一人一人


<ネゲブの流れ>-918-2026/8/23
「聖くなること」Ⅰテサロニケ4:1~8 「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」 ーⅠテサロニケ4:3ー 先々週12~15日まで韓国に行きました。念願の安重根義士記念館では学芸部長から疑問点の解説と貴重な本を頂き感謝感激でした。私は日本の初代総理伊藤博文が嫌いです。明治天皇に注意される程の女好きだったからです。政界は欲の渦巻く世界でその日帝に戦いを挑んだカトリック教徒安重根はあっぱれでした。各国トップが欲で汚れている今の世界。聖なる神のみこころをもう一度確認し、さばきを恐れたい。 ➀神のみこころ=聖くなること。― 3章の終わりでパウロはテサロニケ教会の人々が再臨の時、神の御前で聖く、責められるところのない者とされるようにと祈っています。いつの時代でもどこの国でも、教会をむしばみ弱体化させるのはこの「聖さの欠如」です。教会が立っているのは「汚れた世」だからです。姦淫者の高市氏やトランプ氏が支配者となれる「罪の世」です。しかしクリスチャンは聖なる神を喜ばす聖なる歩みをすべきです。「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。」.


<ネゲブの流れ>-917-2026/8/9
「パウロの祈り」Ⅰテサロニケ3:11~13 「また、あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、私たちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者としてくださいますように。」 ーⅠテサロニケ3:13ー 8月には鬱になるという知識人がいます。それは愚と邪悪で侵略を続けた日本の歴史ゆえだとか。「私は拳を握りしめて片手で伊藤を撃ったが息子達の手が祈りで集まるように願う。」は安重根のミュージカル「英雄」のセリフです。被害国韓国が赦しと愛で日本を見ていることに涙が出ました。韓国は愛で被害を乗り越えようとしています。苦難の勝利者パウロもテサロニケ教会にそれを求めています。パウロの祈りに学びます。 ➀道が開かれテサロニケに行けるように。― テサロニケ教会を特別に愛していたパウロは直接その地を訪れ皆の顔をみたいと願っていました。先ずその祈り。二度のチャンスともサタンに妨げられました。祈りはその妨げが除かれ行く道が開かれることです。私達も妨げられて道が開かれな


<ネゲブの流れ>-916-2026/8/2
「パウロの生きがい」Ⅰテサロニケ3:6~10 「あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。」 ーⅠテサロニケ3:8ー 12年前、20年間死んでいたような心の病から抜け出して「生きるとは?」を考えました。信仰の回復が癒しに繋がったので、人が生きるには神から頂く永遠の命が必要だと感じました。この箇所にパウロが「生きがいがある=いま生きることになる(口語訳)」と言っている場面があります。これも永遠の命です。信仰、愛、教会について学びましょう。 ➀テサロニケ教会の信仰と愛。-パウロはテサロニケ教会に遣わしたテモテの報告を聞いて、慰め、生きがい、喜びを受けました。それは信仰と愛についての良い知らせだったからです。迫害の苦難の中でも堅く立っていた、つまり信仰の堅忍ができていました。それだけでなく愛も大丈夫だったのです。苦難を必死で耐える時心がいじけて愛を失ってしまう場合があります。生きた信仰、希望、愛が保たれていたのです。 ➁パウロの生きがい。-パウロは愛するテサロニケ教会の信仰と愛を聞いて「あなたがたが






















