<ネゲブの流れ>-916-2026/8/2
- 8月1日
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「パウロの生きがい」Ⅰテサロニケ3:6~10
「あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。」 ーⅠテサロニケ3:8ー
12年前、20年間死んでいたような心の病から抜け出して「生きるとは?」を考えました。信仰の回復が癒しに繋がったので、人が生きるには神から頂く永遠の命が必要だと感じました。この箇所にパウロが「生きがいがある=いま生きることになる(口語訳)」と言っている場面があります。これも永遠の命です。信仰、愛、教会について学びましょう。
➀テサロニケ教会の信仰と愛。-パウロはテサロニケ教会に遣わしたテモテの報告を聞いて、慰め、生きがい、喜びを受けました。それは信仰と愛についての良い知らせだったからです。迫害の苦難の中でも堅く立っていた、つまり信仰の堅忍ができていました。それだけでなく愛も大丈夫だったのです。苦難を必死で耐える時心がいじけて愛を失ってしまう場合があります。生きた信仰、希望、愛が保たれていたのです。
➁パウロの生きがい。-パウロは愛するテサロニケ教会の信仰と愛を聞いて「あなたがたが、主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。」と言いました。これは宣教活動が無駄にならず実を結んで満足だというレベルの生きがいではありません。キリストの復活によりもたらされた永遠の命の生き生きとした充満です。復活の命がテサロニケ教会に勝利を与え、その証が力強くパウロを満たし生かし、また命の宣教が進むのです。永遠の命の伝播と言えます。
➂教会の交わり=相互愛。-パウロのテサロニケ教会への愛が特別であることは何度も学びましたが、それは相互愛でした。パウロが会いたいと思うように彼らもパウロに会いたがっており、またパウロたちのことを親切に考えていたのです。それはまたパウロを喜ばせ神への感謝と熱心な祈りとなりました。「顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています。」 最近の傾向として教会内でもクリスチャン同士でも人との距離が意識され寂しい状況です。永遠の命の充満が足りないのでしょう。パウロとテサロニケ教会との間にあった熱い相互愛。会ったら話尽きない深い交わり。永遠の命よ、もっと活発たれ🙏
























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