<ネゲブの流れ>-922-2026/9/20
「慎み深くしていましょう。」Ⅰテサロニケ5:5~8
「しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。」 ーⅠテサロニケ5:8ー
先月の韓国行きからは今でも感動的恵みを頂いています。安重根義士記念館でテレビにも出ている記念館学芸部長さんと話すことができました。先週部長さんの動画を見たら、「安重根は幾多の挫折を経て一気に賜物を開花させた。それは挫折の中にいる者の希望だ。」と話されており嬉しくなりました。安重根の五ヶ月間の獄中生活は落ち着いたもので再臨を待つ姿勢と重なるものでした。パウロの勧めに学びましょう。
➀夜や暗やみの者ではなく光(昼)の子どもである。― 前回学んだように暗やみにいないクリスチャンにとって、再臨は盗人のようではなく救い完成の希望の時です。私達も以前は罪の中にあり罪を隠すために夜や暗やみを好んでいたことでしょう。高市氏のように嘘や罪がある人は追及の場を避けます。私達はやみの業である罪を認め告白し赦されました。堂々と光の中に出られます。光の子ども=昼の子どもなのです。
➁眠っていないで、目をさましている。― 人は夜に眠り昼は目をさまして起きています。昼の子どもであるクリスチャンも眠らず目をさましているべきです。この眠りと覚醒は霊的です。霊的眠り=神を忘れ聖書や祈りから遠ざかり世的欲に生きている状態。クリスチャンも肉体を持ち世で生きていますが世に毒されてはいけません。聖書に親しみ神の御心を悟り、祈り深く神と交わって絶えず信仰の目をさましていましょう。日々罪の悔い改めを怠らず御霊が遠ざかる霊的睡魔にも警戒しつつ。
➂慎み深くしている。― さらに再臨を待つ上で大事なのが「慎み深くしていること」です。Ⅰペテロの各所に「心を引き締め」「心を整え」「身を慎み」とあります。酒に酔うことや物質的贅沢三昧、感情や論理の暴走等を避け慎み深い落ち着いた歩みをすることです。安重根はいつも聖書を持ち歩き逮捕以前も以後も朝の祈りは日課。仲間を守りながら日帝の害悪を指摘した裁判闘争、自伝と東洋平和論の執筆、日本人宛の二百点に及ぶ人生訓的遺墨書きの濃密な日々。再臨ならぬ天国信仰は本物で、死刑をも恐れない雄姿に敵の日本人は完敗。倣いたい!
























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